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Posted by KumaKuma
 
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十和田大湯熊襲撃事件
【十和田大湯熊襲撃事件】
【十和田大湯熊襲撃事件】



 2016年05月20日〜06月10日に秋田県鹿角市で発生した熊襲撃事件
1988年に発生した連続的なツキノワグマ襲撃事件に匹敵する事件

事件概要

5月20日

 同県鹿角市十和田大湯中田在住の無職、高瀬佐市さん(79)が朝からタケノコ採りに出かけたが、
夜になっても帰宅しない為、同日夜に警察に通報し、捜索準備が始められる。

5月21日

 午前7時ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯熊取平の山中で、捜索中の署員が死亡している高瀬さんを発見。
遺体は周囲の土をかけられた状態で、顔などに爪で引っ掻かれた痕や顔面は判別不能なレベルの食害の形跡
があり、クマに依る獣害事件である事が分かった。
 ※クマは一度に食べきれない餌は、土をかけて自分のものとる習性がある。 

5月22日

 午前7時半ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯熊取平の山中に夫婦でタケノコ採りに来ていた秋田県土崎港北
の無職、高橋昇さん(78)が、突然、「クマー! クマー!」と叫んだ為、妻が声のする方に向かうと、
高橋さんが懸命に棒でクマをけん制しながら、妻に「逃げろ」と叫んだ為、助けを呼びに行った。
そして、妻が助けを求めた後、現場に戻ったが、その時にはクマも高橋さんの姿も忽然と消えていた。

 午後1時ごろ、地元の捜索隊が死亡している高橋さんを山中で発見。
遺体は、顔や腹部含め、体中の至る処に爪に依る裂傷が見られ、熊による襲撃であると判断された。
前日の高瀬さんの遺体が発見された現場から500メートル程離れた場所であった。

5月25日

 青森県十和田市穂並町の無職、高谷善孝さん(65)が午前4時頃から秋田県鹿角市和田大湯代平の山林へ
タケノコ採りに出かけたが、夜になっても帰宅しない為、家族が同日夜に通報。
付近は21日、22日両日の2件の遺体発見場所から2、3キロ離れた地点であった。

5月26日

 午前7時15分ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯代平の山林で、青森県おいらせ町の会社員、袴田
孝夫さん(58)が竹藪でタケノコを採っている最中に、頭部や顔に傷を負ったクマが自分から
1メートルの距離に接近して来ていることに気付いた。
袴田さんは地面を蹴って音を立てたり、火の付けたタバコなどを投げてけん制を試みたが、全く
動じなかった為、カッターナイフで付近の竹を削り、尖らせた方でクマの顔を突くと後退りし、怯んだ。
袴田さんはその隙を逃さず、斜面を駆け上がり、無我夢中で逃げた。

この日、前日から行方知れずとなっていた高谷さんの軽乗用車がこの付近で発見された。

5月29日

 午前8時45分ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯代平の山林で、青森県新郷村の無職、村井ツマさん(78)が
息子と二人でタケノコ採りに来たところ、体長1.2メートル程のツキノワグマと遭遇し、村井さんに
襲いかかってきた。 村井さんは臀部を噛まれたが、叫びながらクマの頭部を蹴りつけ、その叫び声に
気付いた息子が現場に駆け付け、クマが怯んだ隙に二人で逃げ出した。

5月30日

 午前11時05分ごろ、秋田県鹿角市十和田大湯代平の山林で、鹿角署員が25日から行方知れずとなって
いる高谷善孝さん(65)の遺体を発見。 遺体は土をかけられた状態で内臓の欠損も見られ、半白骨状態との
報道もされた。

6月08日

 午後、秋田県鹿角市和田大湯代平の山林で、青森県十和田市相坂の自営業、鈴木ツワさん(74)が、
趣味にしている山菜採りに来て、行方知れずとなる。
車内には携帯電話や食料品などがそのままの状態で置かれたままとなっていた。

6月10日

 午前7時ごろ、鈴木ツワさん捜索を開始したと同時に、上空のヘリがクマを何度も視認し、
捜索を2度、中断する事態となり、地元の猟友会にクマの駆除を要請する。

 午前10時半ごろ、捜索を再び再開すると、発見したクルマから約150メートルほどの地点で
食害の形跡のある損傷の激しい性別不明の遺体を発見。 後に鈴木ツワさんと確認された。
30日の遺体発見現場から1キロ北西に向かった地点だったとのこと。

 午後2時ごろ、遺体発見現場付近で地元猟友会のメンバーがツキノワグマを射殺。
約1.3メートルほどの5、6歳の成獣だった。
丁度、加害グマを射殺した頃、複数の捜索隊が現場付近で熊の唸り声を耳にしている。

解剖調査の結果、射殺されたクマの胃袋上部から、人の髪の毛や体毛を含む肉片が見つかった。
また、加害熊以外のクマも食害行為自体に参加していた可能性も高く、注意が必要である。
事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

◆追記◆(2016 .06.30)


6月30日

 午前9時40分ごろ、十和田市大湯の林道で、両親と3人でワラビ採りに来ていた同市の会社員、富樫孝さん(54)が
山中の後方で音が鳴ったので振り返ってみたところ、後方に親熊と小熊2頭が居たので、走って逃げようとしたところ、
親熊が覆いかぶさってきて、頭や腕を爪で掻かれたり、噛まれたりし大怪我。

 冨樫さん何とか隙を見て逃げ出し、離れていた両親と合流、車に飛び乗り、通りかかったバスの運転手に
這々の態で助けを求め、バスの運転手が警察に通報。 冨樫さんは手術が必要な状態とのこと。

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[戦慄の羆関連獣害事件(国内)

三毛別羆事件
【三毛別羆事件】
【三毛別羆事件】

 1912年12月9日~14日に北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町古丹別三渓)六線沢で発生した羆襲撃事件。
開拓民7名死亡、3名重軽傷という大被害を出した日本国内最大の獣害事件。
   三毛別羆事件-Wikipedia → wiki
    ※更に詳細を知りたい方は木村盛武氏の著作"慟哭の谷"(写真、記録多数)をお薦めします。

その他、関連作品
 書籍作品
  羆嵐-吉村昭氏の著作、三毛別羆事件をモデルにした小説(※脚色あり)

 映像作品
  奇跡体験!アンビリバボーSP-三毛別羆事件再現ドラマ(※羆嵐と実事件の内容を混合させている)
     → http://v.youku.com/v_show/id_XMjk2MTI3MjAw.html


     

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[戦慄の羆関連獣害事件(国内)

秋田八幡平クマ牧場事件
【秋田八幡平クマ牧場事件】
【秋田八幡平クマ牧場事件】

2012年4月20日、秋田県鹿角市の八幡平クマ牧場で発生した羆襲撃事件
飼育員2名が死亡し、国内に於けるクマ牧場での獣害事件では最大。
事件概要

4月20日

 午前8時頃、冬期閉鎖中のクマ牧場では、春の営業再開に向け、3名の従業員が作業中だった。
女性従業員は餌場に餌を置き、クマを運動場に放つ為に冬眠房を開けたのだが、この時、運動場内には、
2日前の除雪作業中に圧雪し損なった事で雪山が出来ていたが、その事態に、従業員達は気付いていなかった。

 午前9時頃、運動場に放たれたヒグマの内、6頭が、高く積み上がった雪山を利用し、堀外に脱走。
餌場で作業中の女性従業員・館花タケさん(75)は、ヒグマの脱走に気付き、急いで、外通路に飛び出し、
「クマが逃げ出した!」と、付近で雪を水で洗い落とす作業をしていた男性従業員に叫び知らせた。
男性従業員は、タケさんの叫び声に気付き、瞬時に事態を把握したが、その叫び声に気付いたのは男性従業員だけ
ではなかった。 男性従業員が目を向けた先では、逃げ走るタケさんにヒグマが襲いかかり、噛み付いていた。
また、奥通路で作業中の筈である、もう一名の女性従業員・館花タチさん(69)からは、何の応答も無く、
最悪の事態も想定された。 男性従業員は、急ぎ、牧場経営者に電話連絡し、其の足で、近隣の鹿角市猟友会会員
の青澤さん宅にも事態を知らせに向かった。

 午前10時頃、牧場経営者から緊急要請を受けた警察、救急隊が牧場出入口に到着。
暫く後、男性従業員と青澤さんも現地に到着。 国道側から牧場を見下ろせる為、青澤さんが上に上がってみると、
牧場内での凄惨な光景が目に飛び込んできた。
 直ぐには、タケさんなのか、タチさんなのが判別が付かないが、横たわっている人物がおり、更に、2頭のヒグマが、その人物を餌でも奪い合うかの様に引っ張りあっていた。
 青澤さんは、警察からの緊急召集要請が猟友会に掛けられる事を予測し、自宅に戻り、銃器の準備に取り掛かった。
その後、まもなく、警察隊は自分達だけでは手に負えないと判断し、猟友会に緊急救助要請を発令し、関連施設に於けるヒグマの射殺許可要請を発令することになる。

 午前11時半頃、猟友会のツキノワグマ撃ちの名人・斉藤良悦さん(57)も要請を受け、現地に到着。
正午頃には、射殺許可も発令され、斉藤さんを含む領友会の会員は、次々とヒグマを射殺していく事になる。
 一匹目は、脱走原因になったとされる雪山近くの外通路におり、体長は約1.5メートル、体重は約250キロ程の
大きさだった。 ヒグマを撃った経験が無かっただけに不安な部分もあったが、見事に頭部を撃ち抜き、射殺した。
最初に発見したヒグマを射殺後、「こっちにもいるぞ!」との猟友会の他会員の声を耳にし、声元の方に移動すると、一匹目よりも明らかに大きく、体長、約2メートル、体重、約300キロ近くと見られるヒグマが2匹いたので、
片方を、付近の手摺で銃身を支えながら銃弾を放ち、射殺に成功すると、もう片方のヒグマが、突如、立ち上り、
仁王立ちの態勢で威嚇してきた。 急ぎ、斉藤さんは弾を装弾し、頭部を一撃の下、3匹目の処理の成功。

 餌場付近に、4匹目のヒグマが彷徨いている事を確認し、目眩などが発生するリスクを考慮し、合図と共に、
数人が一拍置きに銃弾をヒグマの体の浴びせ、射殺。
 その後、5匹目のヒグマも発見したので、4匹目を射殺した時と同じく、合図と共に、一拍置きに銃弾を浴びせ、
手応えを感じたが、ヒグマは、くるりと後ろを向き、近くの餌場内に、もう一匹のヒグマと共に隠れた。
そこで、斉藤さん含め、皆で餌場を包囲したが、ヒグマが出て来ない為、斉藤さんがショベルカーに乗込み、
餌場のトタンの外壁を強引に剥がし、中の様子を確認すると、5匹目のヒグマは既に絶命していた。
 その亡骸の近くに、6匹目のヒグマがおり、斉藤さんとの距離は5メートル程だった。
ヒグマは斉藤さん目掛けて、飛び掛かろうとする仕草を見せたが、斉藤さんが目を見開き睨み付けると、後ずさりを
始めたので、直ぐに飛び掛かっては来ないと判断し、斉藤さんは、急いでショベルカーに乗込み、半身を車外から
出す姿勢でライフルの照準をヒグマの頭部に定め、一撃で射殺。
脱走した6頭全てを射殺した頃には、午後4時近くとなっていた。

【その後】
 2名の女性従業員は、既に絶命しており、病院に搬送された。
射殺されたヒグマらは、22日に解体解剖され、胃内からは、握り拳程度のくすんだ赤色の肉片、毛髪、
捲れた皮膚、胃液で黄色に変色したタイツなどが発見された。
 事件の原因は調査中だが、おそらくは、除雪時のミスだろう。
また、クマ牧場は経営難で、施設の老朽化が目立っていた点を以前から問題視されていた事も、後に分かった。

 個人的には、クマ牧場の性質自体が観光目的ではなく、熊肉、熊に胆目当ての運営が
多いという事を、多くの人々が知る必要があると感じた。
事件で亡くなられた2名の方のご冥福をお祈り致します。


↓原因にもなった雪山、牧場の杜撰運営の為に飢えていた羆、人を引張りあっていたのを目撃した地点などの写真。

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札幌丘珠事件
【札幌丘珠事件】
【札幌丘珠事件】

 1878年1月11日~18日に札幌市東区丘珠町で発生した羆襲撃事件
冬眠から理不尽な方法で目覚めさせられた羆が開拓民を襲撃し、3名死亡、2名の重傷者を出した日本史上
3番目に大きな獣害事件。 多くの記録、文献が残った事や立地からも近年までは最も有名な物となっていた。
 ※当時の札幌は定住者が移住し始めてから20年足らずで、町の全人口も約8000人足らずだった。

事件概要

1月11日
 猟師の蛭子勝太郎は札幌市郊外の円山山中を散策中に冬眠中のヒグマを発見した。
早速、勝太郎はヒグマを狩ろうと試みたが打ち損じてしまい、目覚めたヒグマの逆襲に遭い死亡。
理不尽な形で穴から追出されてしまったヒグマは飢えの為、数日間に渡り、札幌の町中を徘徊し数々の目撃情報
農作物、家畜の被害情報が札幌警察署にもたらされた。

1月17日
 数々の目撃報告、被害情報がもたらされた札幌警察署は、警察吏の森長保の指揮の下で駆除隊を編成。
豊平川の川向こう岸の平岸村で加害熊とみられるヒグマを発見し、追撃を始めた。 ヒグマは月寒村、白石村と
逃走し、雁来まで追いかけたが、猛吹雪と立地の悪さから見失う。(当時は大森林地帯であった。)
 見失った為に数時間後の17日深夜~18日未明にかけ第2の襲撃事件が発生、死者を出してしまう。
丘珠村を炭焼を生業としている開拓民の堺倉吉一家の住む小屋をヒグマが突如、襲撃。 小屋内では一家と雇女
一名が就寝していたが、ヒグマは主人と幼児・留吉を食い殺し、妻・リツと雇女などは顔面などに大きな怪我を負わせた。

1月18日
 正午頃、駆除隊の面々は付近の山中で加害熊を発見し射殺した。雄のヒグマで体長1.9メートル程だった。
解剖の結果、ヒグマの胃中からは倉吉、留吉両名の毛髪や両手足などが発見された。 解剖担当者は新渡戸稲造だ
ったと云われています。 ヒグマは剥製化され、胃中の内容物はホルマリン漬けにされ明治天皇もそれを見学した
という記録が残っています。 それらは現在は北海道大学付属植物園に保存されているとの事。
 ※多くの人が展示されている加害熊を件の加害熊と勘違いしていますが、件の羆は2Fの見学できない場所に
  保管されている為、展示されている剥製は別の羆です。


【胃中の内容物】
【胃中の内容物】

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石狩沼田幌新事件
【石狩沼田幌新事件】
【石狩沼田幌新事件】

 1923年8月21日~24に北海道雨竜郡沼田町幌新地区で発生した羆襲撃事件。
5名死亡、2名重傷者という大被害を出した国内史上2番目の獣害事件。

事件概要

8月21日

 北海道沼田町恵比島地区、聖徳太子を職人の神と崇める民間信仰である"太子講の祭り"が開催されていた。
この日、日頃から娯楽の少ない開拓地ゆえ、余興で上演される浪花節や人情芝居を目的に職人だけではなく、
近隣の村々からも人々が詰め掛け、祭りは大盛況だったと伝えられている。

 村民を熱狂させた祭りも午後11時30分頃にはお開きとなり、幌新地区の支線の沢や本通筋から参加していた
一団も夜の山道を家路へと急いでいた。 一行が幌新本通りの沢に差し掛かった頃、小用のため50mほど遅れて
歩いていた参加者の一人、林謙三郎(19)は背後の藪の中で何かが動く物音を聞いた。
その物音を確認する為、謙三郎が振り向いたと同時に、藪の中から突如として、黒い巨大な塊が姿を現し、
謙三郎目掛け、襲い掛かってきた。 この時、幸運にも謙三郎は、着物と帯に爪を引っ掛けられた為、咄嗟に
それらを脱捨て難を逃れる事に成功した。 そして謙三郎は恐怖に震える膝を必死に抑えながら、先を歩いて
いた集団の最後尾に這々の体で追い付き、彼等にヒグマの出現を伝えた。

 だが、ヒグマの行動は迅速で、一団の先頭部に先回りし、歩いていた村田幸次郎(15)を一撃で撲殺、
隣にいた幸次郎の兄・村田由郎(18)に重傷を負わせ、彼を生きたまま保存食用として土中に埋めた。
そして、埋められた兄・由郎の近くで弟・幸次郎の遺体を不気味な咀嚼音を立てながら内臓から食し始めた。

 その一方、突然のヒグマの出現に混乱に陥った一団は、その場から約300メートル程離れた木造平屋建ての
農家・持地乙松宅に逃げ込み、玄関に篝火を焚き、囲炉裏に大量の白樺の樹皮を投込み火を強め、屋根裏や
押入れの中に身を隠し、現時点で出来うる限りの立ち向かう手はずを整えた。
 30分程経過し、ヒグマは幸次郎の内臓を咀嚼しながら持地宅に現れ、建物の周囲を徘徊しながらガラス窓
から屋内をうかがっている事が解った。 そこで、家人は座布団や笊など周囲にある物を手当たり次第に投付け
追払おうとした所、ヒグマが玄関に回り込もうとしているのが目に映り、村田兄弟の父親・村田三太郎(54)は
入れるまいと必死に戸を抑えたが、ヒグマは扉ごと三太郎を押し倒し侵入、三太郎は近くのスコップを手に取り
必死に立ち向かうが、当然、敵うわけもなく、一撃で叩き伏せられ重傷を負った。

 ヒグマは三太郎に重傷を負わせた後、奥の隅で怯える三太郎の妻、ウメ(56)を確認。
囲炉裏で盛んに燃え上がる火を恐れることもなく、巨大な足で火を踏み消し、ウメを咥え上げると、家を出て行く
気配を見せた為、夫・三太郎は自らの深手も忘れ、半狂乱になってヒグマをスコップで打ち据えるが、意に介す
こともなく向かいの山中へとウメを引き摺り悠々と深い暗闇の山中へと姿を消した。 熊の去った方向から、
ウメの助けを求める叫び声が2、3度響いた後、かすかな念仏が何度も何度も続けて聞こえてきたが、その声
すらも、次第に遠ざかり、夜風に吹き消されていってしまった。

8月22日

 妻子を無残に奪われた三太郎はじめ、避難民らは心身ともに苦痛に苛まれ焦燥に駆られるばかりであった。
銃の備えもない農家故、屋内に閉じこもり我が身を守る以外に打つ手も無く、異様なまでに血生臭い臭気が
漂う場で、虚しい思いが立ち込める中で、日の出を迎える事になったと云われている。
 早朝、事情を知らない村民が持地宅の側を偶然通りかかった為、屋内の一団は大声で助けを求めた。
周囲にヒグマがいない事を確認した上で、一斉に戸外へと転げ出た。 そして、皆でウメの捜索を開始。
 しばらくすると、近隣の藪の中で下半身を全て食されたウメの亡骸を発見、その後、土中に埋められていた
由郎も発見した。 子の由郎は、まだ息があった為、直ぐに沼田市街の病院に搬送されたが、手当の甲斐無く、
間もなく死亡した。

8月23日

 22日には、既に惨劇は沼田全域に知れ渡り、翌23日には地元で羆撃ち名人として有名なマタギの
砂澤友太郎を筆頭に、雨竜村の伏古集落在住の3人のアイヌの狩人が応援に駆けつけた。
 そのうちの1人、長江政太郎(56)は凶悪なヒグマの暴虐振りを聞きつけて憤慨し、
『そのような悪い熊は、是が非でも自分が仕留めなければならない!』
と、周囲が引き留めるも聞かず、単身でヒグマ退治に赴いたものの、山中で数発の銃声を響かせのを最後に
行方を眩ませてしまった。

8月24日

 24日には郷軍人、消防団や青年団など、総勢300人余りの応援部隊が幌新地区に到着。
更に幌新、恵比島の集落民の内、60歳未満の男子は残らず出動し、開村以来のヒグマ討伐隊が結成された。
 早速、討伐隊はヒグマを探索すべく山中に入った所、討伐隊が入ってくるのを予測していたかの様に、
突然、討伐隊後方に黒い巨体を現し、最後尾に付いていた上野由松(57)を一撃の下で撲殺、側に居た
折笠徳治にも重傷を負わせた。
 さらに、ヒグマは雄叫びを上げ、別の討伐隊メンバーに襲いかかろうとしたが、傍にいた現役除隊間もない
軍人が咄嗟に放った銃弾がヒグマの体に見事に命中し、ヒグマが怯んだのを合図に鉄砲隊が一斉射撃を浴びせた
ことにより、 凶悪なヒグマも遂に倒れた。 その後、この現場の付近で昨日から行方不明になっていた長江
政太郎が、頭部以外を全て、食い尽くされた状態の遺体として発見された。

 ヒグマは雄の成獣で体長・約2メートル、体重・約200キロだったと伝えられている。
解剖の結果、胃袋の中からは笊一杯分程の人骨と人間の未消化の人の指が発見された。
ヒグマの毛皮は事件後は幌新小学校に保存されていたが、1967年の廃校に伴い、幌新会館に移され、現在では
沼田町郷土資料館に展示されている。
 後の調査の結果、一行が最初にヒグマに襲われた地点では、斃死した馬の亡骸が保存食として埋められていた
事から、加害ヒグマは数日前よりこの亡骸を食し、偶然現れた一行を"餌を横取りする外敵"と見なし、排除に
及んだ事が事件の発端だと推察された。

事件後の今
 事件の舞台である幌新太刀別川上流部では、その後、炭鉱が開発され2千人以上の人口を有する小都市となる。
恵比島駅を基点とする留萌本線の支線・留萌鉄道も開通して大いに栄えたが、昭和40年代に炭鉱閉山に伴い過疎化。
現在ではダム湖の底に沈んでいる。

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